オストメイト仲間との交流で元気がもらえます。

仲間との出会い

 膀胱癌の手術をしたのは、もう6年前になります。退院半年後「オストメイトの集い」に初参加した折り、司会の方からのインタビューで「ストーマを持って何か良いことはありませんか?」と質問され「こんなに悩んでいるのに、この人はどんなつもりなんだろう」と思いつつ「他人の痛みが分かるようになった・・・・」とか繕ったものでした。

 この会合が縁で仲間との語らいが始まり、今では温泉旅行・花見・飲み会と楽しい行事が続いています。企画・反省の会もありストマをどこかに置き忘れるほど?出かけております。
 仲間曰く「人生こんなに楽しいものだとは気が付かなかった・・・」と。5年前の「何か良い・・・」の答えはこの事だったのではないでしょうか。出会いとは不思議なものです。
 (1996年10月)

 

楽しかった温泉旅行

 十月も終わりの週末、まだ地震の余韻の去らぬ伊豆半島の南端、下賀茂温泉に旅行した。メンバーはザイタックで知り合った仲間十一名で、ストーマ暦半年の新参さんから二十年以上の超ベテランのお馴染さんまでの元気のいい紳士と淑女だ。
 絶好の行楽時期なのに新幹線、伊豆急電車、バスの総てが我々だけの特別仕立てのように空いていた。宿近くの温泉を利用した熱帯植物園を見物した後、連れ立って宿自慢のナマコ壁の露天風呂につかった。ゆったりして天国にいる気分だ。
 我々が独占した宴会場で豪華な海の幸満載の夕食に舌鼓を打ちながら酒杯を差し交わすうち、カラオケ披露も絶好調、やがてやがて全員が舞台に上り、円を組み合う大合唱となった。宴会の部は延々二時間半で時間切れになり記念写真を撮って一旦閉幕だ。
 二次会は自分違の部屋で杯を片手に夜の更けるのも忘れ、体験談に華が咲いた。病気にまつわる意外な苦労話に驚くやら感心するやらで、勇気を与えられる場面も多かった。
 星空の下に二つ目の露天風呂を堪能してから眠りに就いた。翌日は伊豆西海岸沿いの路線バスと高速艇で景色を楽しみながら沼津に出て岐路に就いた。
 本当に楽しい温泉旅行だつた。この旅のビデオや写真が楽しみである。今回の宿の手配をしてくれたNさんに大いに感謝すると共に、参加を躊躇されたオペ後、半年のK氏から次回も是非参加したいと言われたのが実に嬉しかった。来年の旅行が今から待ち遠しい。
(1995年秋)

 

Walk in Nikko

 毎年7月には東武日光・日光青年会議所主催の奥日光ハイキングの祭典「Walk in Nikko」に参加している。

 2,000人程度の参加を見込んでいるらしい。平成4年からだから、もう6回参加したことになる。今年は7月12日-13日であった。
 第1日目の土曜日は前夜祭で音楽や踊りのアトラクションや北海道旅行券も当たる抽選会が有り夜は奥日光湯元温泉で寛ぐ。空気がすがすがしい。夜はひんやりとして気持ちよい。
 第2日目は8時にスタート、約13キロのハイキングコースを戦場ガ原や竜頭ノ滝などの景色を楽しみながら緑の木立の中を歩く。滝の茶屋や湖の辺で休憩するのもよいものである。やがて中禅寺湖畔に出ると菖蒲ガ浜で鱒汁の振る舞いがあって一服、時計は11時を指している。後は湖畔に沿って日光自然博物館前のゴールまで頑張る。ゴールではカメラマンと缶ビールが待ち構えている。ゴールは13時半であった。完歩証を貰って一休みとなる。近くの旅館で温泉につかってさっぱりしてから家路に向かう。
 このイベントに参加するようになったのも病気のおかげである。病室の隣人がこのイベントの関係者だったので、毎年お世話してもらっており私は何の準備をすのでもなく、ただ出かければよいのである。
(1997年夏)

 

オストメイトの集い

オストメイトの集い
 毎年6月にはアルケア(株)主催の「オストメイトの集い」が開催される。今年は東京ビックサイトの国際会議場で開催された。あいにくの雨で出足は余りよくないようであったが有意義な半日を過ごすことができた。
 国際会議場は新しく立派で講堂の疲れを感じさせない良い施設だが、東京駅から遠いのが玉に傷である。また、広すぎて迷子になりそうである。
 イベントは例年どおり「よろず相談コーナー」、「本大会」、「分科会」の3部構成である。
 「よろず相談コーナー」はストーマの専門ナースやアルケア社員に1対1で気軽に相談できるコーナーである。
 「本大会」は講演会で東洋英和女学院大学人間科学部教授、日本ウォーキング学会会長の宮下充正先生による「歩かなければ、歩けなくなる」-四季の風を体験しませんか-と題してプロジェクターを使い統計を元にした分かりやすいお話しを頂いた。歩くことの大切さと効果的な歩き方がよく理解できた。
 「分科会」は4つの分科会に分かれ、夫々の会場で専門医の解説と質疑応答、オストメイトの体験談の披露があった。4つとは、「(1)人口肛門造説2年未満の分科会、(2)人口肛門造説2年以上の分科会、(3)洗腸の分科会、(4)人口膀胱の分科会」であるが私は「人口膀胱の分科会」で「私の健康法について」の体験談をご披露した。また、質疑応答では「ストマは2~3年はもつのですか?」云う深刻な質問も飛び出した。「一生もちますよ」とのドクターの答えに安心されたようだ。「私は何十年も前に手術した」との応援演説もあり安心感は一層強まったものと察しられた。
 恒例になってしまったが、今回も気の合った者同士の十数名で2軒の居酒屋で気勢をあげて後、深夜の家路を急いだ。
(1998年6月)

ソウル(韓国)旅行

 2泊3日で仕事仲間7名で楽しんできました。オストメイトは私一人です。
旅行の目的はうまいキムチを食べてソウルの街を自分の目でみるという漠然としたものです。総費用は6万円でした。
 旅程は
1日目:”成田空港”-UA-”金浦空港”-”南大門市場”(青空市見学)-”韓国鍋料理堪能”-”ホテル泊”-”近場の夜の散歩”ー
2日目:”ホテル”-(徒歩にて2.5Km)-”景福宮”-”国立民族博物館”-(2Km余り徒歩)-”東大門市場”(屋台にて食事)-(地下鉄にて)=”新竜山”(パソコン商店街)=”ソウル駅”(駅見学)=”市庁”-”繁華街での食べ歩き”-”ホテル泊”
3日目:”ホテル”-”金浦空港”-UA-”成田空港”
 出かける前はどんなところかと心配だったが余分な心配だったようです。
日本語は理解されないと案内書にあったが、日本語で声をかけてくれるし道案内してくれる老人にも出会った。日本円も使える。身なりも日本と似ている。だけど、我々が日本人だと物言わなくても見破られた。
 色々と発見があった。また、遊びに行きたいと思っている。キムチはやっぱり韓国で食べるに限る。
(1999年2月)